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当道要集
聖家撿挍之事
何の撿挍御房御同宿中〈返札管報尊報、是は人により、け様の御衆へは其所お上に書候而、撿挍と書つゞけ申候、聖家とは比叡山高雄山の撿挍なるべし、〉
後宇多院御宇弘安年中に定る、たとへば在名松尾なれば、松尾撿挍御坊と書なり、但俗姓も能仁ならば、松尾撿挍御坊御近習中、
右のごとく回報尊報と書べし、総撿挍之事也、又二老三老へは進之候也、四老より末の平撿挍へは、松尾撿挍坊進之候也、但俗姓も能仁ならば、撿挍御坊近習中と書べし、勾当へは、松尾勾当坊参る、但俗姓も能仁ならば、勾当御坊と書べし、此一け条は、公方の御日記の内お写し畢、