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当道要集
年中議式
一正月四日、二老三老への礼大式事、二老へ小式事、三老へつかふる事、
一九日こき入総撿挍への礼、両式事ともにつかふる、二老三老への礼なき也、小寄合にても節句節句有合ば、三老迄礼有之事、附此日不可仕出吉書にも不出事、
一総撿挍公方様〈江〉の御礼、御玄関迄乗物御免成来、定日は年による事、但進物は一束一巻、
一同十一日、吉書、此外寄合は総撿挍次第日定事、
一同廿九日、心月月望〈○望下文作黒〉志初一かたの総撿挍二老三老門派の頭時の年行事、並新撿挍紫衣に而出仕、総撿挍不参の時は可為黒衣事、附両式事共に出位、総撿挍たりといふ共、八坂方は不出仕事、
一二丹十六日、積塔都鄙の総撿挍勾当、末々の座頭迄出仕、一万巻の心経お読誦、天下泰平国土安穏之巻数お認、礼物添、久我殿〈江〉納、其後頭人延喜聖代お語り、六流より五句の平家お勤む、戸島源照両流は輪番に勤事、
一十七日、未明に東河原に出で、諸当道石塔積、是君恩お報じ奉らんがため也、
一三月廿四日、法華経一部書写し奉、両式事撿挍使にて加茂川へ流す、安徳天皇の御為と号、
一稲荷の御輿御出有て、八日目の丑日、総撿挍両式事共御旅所へ参、此時上下の官にて十座宛の御神楽、田中の御前にて三座御神楽有事、
一六見十日、祇園御旅所参、上下の宮にて十座宛御神楽有之事、
一同十五日、聞天忌師堂妙親両流の撿挍清寿菴へ、年行事両式事出仕、装束心月月黒始に同じ、
一同十九日、凉出仕、已下積塔に同じ、
一同廿日、総撿挍へ僧お供養し、提婆品読誦有之、但清寿菴の住持たるべし、
一同日より七月廿日迄、江州今津堂にて、比え山より礼拝講之勤有、其時節高座に上り平家かたる事有、但比え山よりの案内次第たるべき事、此路具〈に〉定るとなり、
一同廿九日、心月月黒出仕以下月黒始に同じ、
一七月二日、八坂者八坂之撿挍並両式事出仕、総撿挍たりといふ共、一方は不出仕、此八坂者は向坂撿挍依懇望たるに、慶長十八癸丑年、伊豆総撿挍代より始なり、
一同八日、施餓鬼出仕之撿挍、心月月望に同じ、
一十一月八日、稲荷御火焼、一同丹二番之申日、守宮神御火焼、
一加茂への田楽、是は四拾年已来始也、心外古き年者したうの儀式開山所に勤む、記に不及、