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安斎夜話

雨夜尊 盲目の元祖なりとて、盲目是お祭る、盲目の家の説に、雨夜尊は光孝天皇の皇子、盲目にて、天下の旨人お憐み、恩沢お施されしゆえ、是お元祖として祭るといへり、按三代実錄は清和陽成光孝三代の国史也、然るに光孝天皇の皇子に雨夜尊といふ人の事はみえず、皇胤紹運錄は代々の天皇の系図にて、御兄弟皇子等委細に載たる書也、紹運錄にも雨夜尊はみえず、俗に弾(蝉)丸は延喜帝の皇子也といふは誤りなれども、弾丸といひし人は在し人也、皇子といふは誤なり、雨夜尊は一向なき人なり、信ずべからず、若し昔貴家の児に盲目人のりて、両夜と名付る者ありて、剃髪して僧に准じ、撿挍の職名お申し受し事ありしゆえ、夫お元祖とするならん歟、其後に至て、彼雨夜お貴ぶの余り、且又己等が眉目お飾らんがため、光孝天皇の皇子也と偽てこしらへ、いひ伝へたるこどありしならん、盲目にて正史実錄お見ぬ身なれば、相応の偽也、両眼明かなる人だにも、不文なる人などは、書よむ事ならぬゆえ、さま〴〵時代に違ひたる事おいひ出すことあり、況や盲目おや咎むべからず、彼の偽お偏に信ずる愚さは憐べきこと也、