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発心集

盲者関東下向の事
あづまのかた修行し侍りし時、さやの中山のふもと、ことのさきと申やしろのまへに、六十ばかりなるびわ法師の小ほうしひとりぐしたるが、過ゆくおよびとゞめて、かれいひくはせて、いづくへゆくぞ、よのつねの人だにはるかなる旅、思ひたつ事は、たと〳〵しきお、いと心ぐるしくこそととぶらへば、うなだれて鎌倉のかたへまかり侍るなり、人はたのむところありて、うたへおも申さん、もしは御かへりみおかうぶらんなど思ひてこそ思ひたつ事なれど、おのれは何事おかは申さん、ことわりかうふるべきうれへももち侍らず、さらに期する事なし、たヾ世のすぎがたさに、もし一日もすごすばかりの事もやかまへらるゝとて、あられぬありさまにてまかれば、道のあひだのくるしみ、ゆきつきてやどるほどのわづらひたゞおぼしやれといふ、いかに事にふれて苦しからんと、いとおしき中にも、或智者のごくらくへまうでん事お申とて、無智の者のむまれん事は、たとへばめしひのみちおゆかむがごとし、じやうげうの心おしれる人は、目ある人のまうでんがごとくなりと申侍りし事お、きと思ひ出て、わが身のうへのやうにおぼゆれば、ねんごうにとぶらふ、いと不便の事かな、さてかなふまじくやおぼゆるといふ、まことに思ひたつもおほけなき事なれど、何事も心ざしによるわざなれば、などかははげまし侍らざらん、よのつねの人の乗馬下人らうれうごとき、ゆたかにもちたるも、その心ざしなきは、いまだあふみの国おだに見ぬかずもしらず、かくたづ〳〵しくやすからぬ身なれども、思ひたちぬれば、さすがにまからるゝ也、となんかたり侍りし、