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陰徳太平記
五十二
輝元隆景備中国発向附諸処合戦事
新四郎〈○手〉が兄に友梅と雲る盲人の有けるが、杖おつき走り出、手盲目友梅と雲者也、早頸打てと呼りければ、木原次郎兵衛馳寄て討てけり、郎等一人付従けるが、坂下彦六郎と名乗、腹掻切て失にけり、木原は友梅流石手の庶流なれば、事の様艶かりけりと思、死骸お見れば、杖にはあらで左礼(ざれ)たる竹の杖に、短冊お一枚付たりけり、
暗きより暗き道にも迷はじな心の月の曇りなければ、とあるお見ても、真に本始一体の真如の月光不暗心根なれば、此冗乱の半にも、かく思つヾけるこそあはれなれと、人皆感涙お催せり、