[p.0983]
療治之大概集

三部書序〈○中略〉
鍼灸の法世に行はるヽ既に尚し、素霊、甲乙、千金、外台降りて銅人鍼灸図、明堂鋤灸経、徐氏鍼灸経、資生経、神灸聚英神応経、十四経の類、其書枚挙すべからず、喩ば書籍は規矩なり、術は運用なり、精斉竭慮の人に非ざれば、精妙に詣たる難し、古昔は姑く置く、延宝の際、杉山和一と雲ふものあり、卓絶奇偉の人なり、〈勢洲津の藩士、父お杉山権右衛門と雲、〉幼にして江戸に来り、鍼科お山瀬琢一に学ぶ、琢一は其術お京師の入江良明に学ぶ、良明は其父頼明に受たり、頼明の豊臣秀吉の医官岡田道保に受く、〈○中略〉徳川厳有公、聞て大城に召す、嗣て常憲公の病に侍す、功効あり、一日公欲する所お問ふ、対曰く、臣世に於て希幸する所なし、隻願くは一目お欲するのみ、公聞て之お憐み、本所一つ目お賜ひ、禄五百石お給す、後増して三百石お賜ふ、特命お以て関東総撿挍となる、肄館お建て、鍼治講習所と雲ふ、諸方より門人来聚り、別に一派お開く、世に之お杉山流と雲ふ、著述三部あり、一お大概集と曰ふ、〈鍼の刺術病論お説く〉二お三要集と曰ふ、〈鍼の補瀉十四経の理〉三お節要集と曰ふ、〈先天後天脈論〉是書畢生の精力お以て鍼法の秘薀お発揮す、