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塵塚談

当戌年〈○文化十一年〉十月より、浅草観音境内奥山え、頓智なぞと雲看板おかけ、盲坊主廿一二歳と見ゆるもの出たり、見物一人に付銭十六文宛にて入る、見物人よりなぞおかけるに、更にさし支る事なし、若解けざる時は、掛し人へ景物に、蛇の目の傘などおくれる事也、故に見物の人、景物お取らんと、なぞおかける人多し、たま〳〵解ざるなぞ出る事も有よし、此者の才覚頓智なる事お感心驚ざるものはなし、奇なる盲者にて、奥州二本松の産なるよし、撿挍保己一が類の奇人と雲べし、