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窻の須佐美

紀伊の国の足軽に、田含に住る許に、出世のため、京上りする坐頭(〇〇)来りて、日の暮かかり、宿かるべき所まで行がたく候間、ひそかに宿かし給はれと、わりなく頼みけるほどに、一夜留てけり、明けて後暇乞して、立出し跡にて、あるじの妻、座頭の寐たりし跡に行て見れば、こがねお二三百ばかり袋に入て指置けり、其儘夫に見せ、是お落したらんは、出世の望絶ん計りに失ひぬらんに、少も早く返しあたへられよかしと雲ければ、夫も聞もあへず、足おせいにして走り行しが、二三里も過て、谷川のさかしき辺に、法師の観念しておるありければ、さてとぞと思ひ、声おはかりに呼かけて、漸に往つき、御坊は何とて左様の体にやと問ければ、官金お路次にて落し、此上は生涯の栄絶ぬれば、ながらへてもかひなく存じ、身おなげんと存より、念誦いたし候なりといひけるに、さればこそ、かくあらんとおもひしなり、御立ありし跡にて、妻の見付出候まゝ、少しもはやく届け申度、息お限りに走り附たりとて、取出しあたへければ、兎角の答も得せず、涙にむせび、存も寄らず、御なさけ、生々世々えこそ忘れ申ましと、礼拝して往わかれける、終に音信もなかりける、数年の後、紀州の役人、高野に使して巡見しけるに、長六七尺石碑に、彼足軽の名お彫付て、彼座頭勾当撿挍になりて、其足軽の祈禱の為に建たるよしお書たり、不思讃の事に思ひて、国に帰り、人にかたりしが、いつとなく上へも聞へて、彼者お呼出し尋られしに、しかのよしお申ければ、至て正直なるものなりとて、士に取立られしとぞ、