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今昔物語
十二
薬師仏従身出薬与盲女語第十九
今昔、奈良の京に越田の池と雲ふ池有り、其の池の南に蓼原堂と雲ふ里有り、其の里の中に堂有り、膠原堂と雲ふ、其の堂に薬師仏の木像在ます、阿倍の天皇〈○元明〉の御世に、其の村に一人の女有り、二の目共に盲たり、而るに此の盲女一人の女子お生めり、其の女子漸く勢長じて、歳七歳に成ぬ、母の盲女寡にして夫無し、極て貧き事無限し、或る時には食物無くして食お求るに難得し、我必ず餓て死なむとす、亦目盲たるに依て東西お不知ずして、行て求る事不能ず、然れば歎き悲むで自ら雲く、身の貧きは此れ宿業の招く所也、徒に餓死なむ事疑も不有じ、隻命の有る時、仏の御前に詣て、礼拝し奉らむには不如じと思て、七歳の女子に手お令引めて、彼の蓼原堂に詣づ、寺の僧此れお見て哀むで、戸お開て堂の内に入れて、薬師の像に令向て令礼拝む、盲女仏お 奉礼拝して白して言さく、我れ伝へ聞く、薬師は一度び御名お聞く人諸の病お除く、我れ一人其の誓に可漏きに非ず、譬前世の惡業拙しと雲ふとも、仏慈悲お垂れ給へ、願くは我れに眼お令得給へよと、泣々く申して仏の御前お不去ずして有り、二日お経るに、副たる女子其の仏お見奉るに、御胸より桃の脂の如くなる物忽に垂り出たり、女子此の事お見て母に告ぐ、母此れお聞て雲く、我れ其れお食はむと思ふ、速に女ぢ彼の仏の御胸より垂り出たる物お取て、持て来て我れに含めよと、子母が雲に随て、寄て此れお取て、持て来て母に含むるに、母此れお食ふに甘し、其後忽に二の目開ぬ、物お見る事明らか也、喜び悲むで、泣々く身お地に投て、薬師の像お礼拝し奉る、此れお見聞く人、此の女の深き信の至れる事お讃して、仏の霊験掲焉に在ます事お貴びけり、