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嬉遊笑覧
六上/音曲
今女盲おごぜといふ、もと御前は貴人の辺なり、故に人おうやまひていふ詞なり、物語草子などに多く見えたり、御まへたちといふは、御前に侍る人おいふなり、今も音にて呼ながら、ごぜんといへば重き詞なり、物語などに、殿は男お申し〈源氏玉かづらの内侍おかんのとのといひたるもあれど、そはまれなり、〉お前といふは女お申すならひなり、〈名物の琵琶に、殿御前と雲があり、胡琴教錄に、殿御前の琵琶の絵のことおいひて、其入の形、男おかけるお殿と、女おかけるおば御前と号す、〉盲女もやむごとなき御まへに侍るより、ごぜとはいひ習へるにや、又は瞽女の音などにや、落穂集に、我等若年の頃迄は、躍子抔と申者は、縦令いか程高給お以て召抱申度と有之候ても、御当地町中には一人もなく、三味線と申物おば盲目の女より外にはひき不申事の様子に有之雲々、去に依て、其節は、大名衆奥方には、盲女と名付たる瞽女お二人三人も抱置、御慰などゝ有之節は、三味線お鳴し、小歌やうのものも諷ひ、座興お催申事に有之候、当時は、件のごぜ抔と申者沙汰もなく、躍子三味線ひき計りの様に罷成候は、元禄之始已来の義にても可有之哉とあり、人倫訓蒙字彙に、女盲が男に三線教る所おかけり、其条に、御前は、光孝天皇の御子、雨夜の前にはじまるといふ説あり、是もれき〳〵のおくがたへも出入、又はいとけなき娘子に、琴三味線お教へ侍れば、身持きやしやにありたきものなりといへり、此草子には、座頭の条には、雨夜の御子の事なく、却てこの処に、雨夜の前と女御子としたるもおかし、