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風俗見聞錄

盲人の事、世に五体不具の者多しといへ共、其内に盲人は支離の最第一なるものなり、第一、日月星辰の照明成事おしらず、父母の顔お見る事能はず、生来天の悪みお深く受たるもの也、凡天地の間に、禽獣魚鼈及蜉虫の類迄も、目のなきものはなく、盲と雲もなし、いかなるにや、人には盲多出来る也、是人情の虚実より発るもの歟、扠瞽者の人情お試るに、何れも行気強く、我儘強く、殊に残忍也、隻人お欺き貪るの情一図にして、少も人の為に預り聞情なし、又人の実情なる事も誠とせず、己が心に競て、是人お訛すの方便ならんと疑ふ也、猶目のみへざる故、か様に狐疑に成、手前勝手なりし物か、おもふに左にあらず、平人にも右体残忍の情強き者、必中年にして目しゆる也、是お以て見れば、人情馳限りて天罰冥罰の至極せしものと見ゆ、然るに今盲人に官職の途有事、不審千万也、右体禽獣魚鼈にも劣りて、日月お拝する事の成ぬ者が、天子へ拝謁し、天盃お戴き、又人情馳限りて天罰冥罰の至極せし離支が、公儀へ御目見いたし、拝領ものお致事、奇怪の事共也、少も国家の役には立べき事なく、人のために成事なく、誠に世の費人、厄介成者が、何おもて高官に昇り天下国家の寵お受、身の安体お極る事也、〈○中略〉撿挍は比叡山に一人、高野山に一人のみ成しが、此性仏撿挍、盲人共の司と成給ひし後は、盲人の重官と成て、比叡山に座頭撿挍の名目絶しと雲、今は高野山に一人有のみ也、高野山に於ても、今千有余の学侶の内より勝たるお三十人撰び挙て集議といふ、集議、三十人の内より七人お撰み挙て碩学と雲、碩学七人の内より二人お挙て行司といふ、其行司二人の内より挙用ひて撿挍に進む也、誠多年の法労お積上て、仏勅冥慮に協はすんば、此官職に昇がたし、皆中途にして運命極る也、比叡山に於て御定右の如き極にてあらん、然るお盲人の官職となりし事、実に勿体なし、時得て摂政家道公の御威光お以て、計らず高官に進み、且天下の御扶持お蒙るべき者と成、其後又座頭勾当別当撿挍の四官と成、又追々次第分れて今は座頭より撿挍に至迄十七階に分れ、始て打懸より七十二刻の段々有と雲、右の成行にて、盲人共の官途お競、驕奢お尽すになりぬ、憐べし彼御国母皇太皇后、又は摂政家道公御一子の御追善、及一時の御愛憐より、末代永く天下国家の弊と成事お発し給ふ也、天下の事少も私の事になし給ふ時は、斯の如く永く国家の害と成行べし、漢土に而は、瞽者に官位はなしと雲、猶の事なり、都て政道は万民の心おもて、民の好所に随ひ給ふべき也、左なき時は、右体国家の筋に違ひ、天道に背き、人道お損ずる事出来る也、釈門の僧侶は、勧善懲惡の道お世に施して、国家の補助共成べき物なれば、盲人などは訳の違たる者にて、随分官職お給はるべき謂れも有べけれども、夫すら今官職の次第有によつて、前に雲如く、悉驕奢にほこり、肝要の法義お失ふに至れり、僧侶にも限らず、盲人共にも不限、都て官位は人お驕奢に導く道具にして、人お損じ、世お費す毒物也、扠盲人共右の仕合に而有しが、其以後時代押移り、朝廷の御威光も衰へ、暫く乱世と成て、大に衰微し、右の給り物も絶果、又官途も心に任せず、猶乱世の内にも、或は足利尊氏の甥挌都撿挍抔雲るは、明石お領して明石殿と穏するなど、時の権威に由緒ある盲は格外に誇りけれども、有職の所縁なき平座頭どもは、道路にさまよひ、飢寒の苦痛に沈み居しが、当御治世に至りて、再び御仁政お加えられ、大小名始国々在々に至迄、家毎に祝儀不祝儀の節、相応の米銭おもらひて、渡世する事お赦されし也、是お配当といふ、仲間一統へ配当する故也、是偏に御憐愍の至也、猶別に天下の御扶持は給はらずといへども、併古来施行米お戴しお、運上物と雲るも、五畿内近国の盲人共計とみへたり、殊に筋目よき清らか成瞽者計と見えたり、〈○中略〉今日本国中に勾当の数三四百人の間と雲、撿挍は百二三十人程有と雲、其百二三十人程の内、江戸に七八十人程有と雲、御当地の結構、又犯奪の道の盛んなる事おしるべし、猶営世にも琴三味線鼓弓などの指南お致し、又は針療など専らとする盲人も有れ共、右等の芸道お以て大金お取集る事は容易ならず、勿論遊芸は当世盛んに行はるゝ事にて、弟子よりの収納も多く、或は目錄免許奥免許抔雲て、格別高金お取事也、其外貴人高位又遊興人福有人等に追従して、玩ものと成、金銀衣類お貰ひ、目明ものゝ稼には、中々得難き程の大金お得るといへ共、併右の貸付利倍の稼には不及、〈○下略〉