[p.1016][p.1017]
西行一生涯草紙
大治二年の比、鳥羽院の御時、ほくめんにめしつかはれける、左藤兵衛範清といふ者ありけり、〈○中略〉西の山のはに月もやう〳〵かたふきにしかば、隻今こそかぎりとおぼえてとしごろの妻女にあるべきことさま〴〵にちぎりしかども、この女さらに返事もせざりけり、さりとて、とゞまるべき事ならねば、心つよくもとゞりきりて、持仏堂になげおきて、かどおさしていでゝ、年ごろしりたりける、嵯峨のおくのひじりのもとへ、そのあかつきはしりつきて、出家おしけるこそ、あはれにみえけれ、そのあしたひじりたちあつまりて、こはいかにと申しあひければ、かくぞながめける、
世おすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ〈○中略〉
今は山林流浪の行おとげんと思て、はじめのいでたちこそあはれなれ、〈○中略〉としごろおもひし事なれば、まづ吉野山おたづねて、花おこゝうにまかせて、みんとて、たづねけれども、おなじこゝろおもふ人もみえざりければ、
たれかまた花おたづねて吉の山こけふみわけていはづたふらん、〈○中略〉名おえたるやまの花なれば、さこそおもしろかりけめ、こけのむしろのうへ、いはねにまくらおかたぶけ、さすがに、いけるいのちのたよりには、だにのしみづおむすび、みねのこのはおひろいて、寂寞莫人声、読誦此経典とよみ、入於深山、思惟仏道のおこなひ、こゝうにあかねども、熊野のかたさまへまいらんと、おもひたちて、ゆくみち〳〵のありさま、いとゞあはれのみまさりぬ、〈○下略〉