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撰集抄

依祇園御託有男発心事
過にし比、九重の外、白川の辺に、形計なる庵結て、深く後世のいとなみする人侍り、この人親の処分おゆへなく人に押とられて、詮かたなく侍りけるまゝに、祇園に七日こもりて、ことわり給へと祈り申侍けるに、七日と申に暁、御殿の御手おひらかれて、やゝと仰られければ、大明神の御託宣にこそとおもひて、いそぎおきなほり、畏りて侍るに、気高き御声して、
長きよのくるしき事おおもへかしかりの宿りお何なげくらむ、と御託宣なりぬと思て、打おどろきぬ、此御歌につきて、つく〴〵案ずるやう、げにもあだにはかなきは此世なり、よひに見し人朝に死し、朝にありしたぐひ、夕に白骨となる、悦もさむる時あり、歎もはるゝ末あり、無常転変憂喜、手のうらおかへす世の中に、思おとゞめておろかにも、家世の長き苦お歎かざりけん事の、はかなさよとおもひて、はや手自ら本鳥お切て、妻子にもかくともいはずして、白川の辺にて、竹など拾ひあつめて、如形庵しまはして、明暮念仏おぞ申侍りける、此身おおしむには、あらざりければ、たゞいきのかよはんお恨とすべしとおもひて里に出て物おこふわざも侍らず、隻二心なく念仏お申侍りければ、あたりちかき人々あはれみて、命おつぐたよりおぞし侍りける、かくて日数へにければ、妻子聞得て、彼所に来り侍りて、とかくこしらへ侍けれども、あへて返事もし給はずいよ〳〵念仏おぞし給へりける、さうなり、何してか道心もさむべきなれば、こしらへかねて帰り侍りぬ、さて彼女房の沙汰にて、いほりさるべき様につくろひ、世渡べきほどの具足ととのへ送れりければ、手自らいとなみてぞ、日数送り給けるさる程に世の中隠なきわざなれば、処分押取ける人、是お聞て、浅猿や、かく程までは思はざりきげにも長きよの暗こそ、悲かるべきにとて、押たりける所おば、本の主の道心おこせる人の、北の方にとらせて、やがて本鳥切て、白川の庵にいたりて、しか〳〵と雲に、本の聖もあはれに思て、よゝと鳴めり、さらばいづちへかおはすべき、是にてもろともに念仏し給へかしといへば、さうなり、いづちへかまかるべき、一所に侍らんこそ、本意ならめといひて、内に入ぬれば、むつましき友となり侍りて、同声念仏し給へりければ、功積貴すみ渡て、夜お残す老のね覚には、あはれと聞て、涙おながす人のみおほく侍りけり、かくて二とせと申ける、三月十四日の暁に、先に世お遁給し人は、西にむきて座し、後に家お出給し聖は、かの座せる上人のひざお枕にて、眠れる如くして、終おとり給へり、