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太平記
十三
藤房卿遁世事
藤房(〇〇)致仕の為に被参内、竜顔に近付進せん事、今ならでは何事にかと被思ければ、其事となく御前〈○後醍醐〉に祗候して、竜逢比干が諫に死せし恨、伯夷叔斉が潔きお蹈にし跡、終夜申出て、未明に退出し給へば、大内山の月影も、涙に陰りて幽なり、陣頭より車おば宿所へ返し遣し、侍一人召具して、北山の岩蔵と雲所へ趣かれける、此にて不二房と雲僧お戒師に請じて、遂に多年拝趣の儒冠お解て、十戒持律の法体に成給けり、〈○中略〉此事叡聞に達しければ、君無限驚き思召て、其在所お急ぎ尋出し、再び政道輔佐の臣と可成と、父宣房卿に被仰下ければ、宣房卿泣々車お飛して、岩蔵へ尋行給けるに、中納言入道は、其朝まで岩蔵の坊におはしけるが、是も尚都近き傍りなれば、浮世の人、事問ひかはす事もこそあれと、厭はしくて何地と雲方もなく足に信(まかせ)て出給ひけり、〈○中略〉宣房卿御悲歎の涙お掩て、其住捨たる庵室お見給へば、誰れ見よとてか書置ける、破たる障子の上に、一首の歌お被残たり、
住捨る山お浮世の人とはヾ嵐や庭の松にこたへん、棄恩入無為、真実報恩者と雲文の下に、
白頭望断万重山 壙劫恩波尽底乾 不是胸中蔵五逆 出家端的報親難
と黄檗の大義渡お題せし、古き容お被書たり、