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工芸志料

漆工
或雲く、正平年間僧無底といふ者あり、陸奥国江剌郡黒石村において一寺お創建す、号して正法寺と雲ふ、又黒石精舎といふ、正法寺は禅宗にして、越前国永平寺、能登国総持寺と共に一振の総本寺たり、故に諸国の僧徒来聚するもの火多なるお以て、正法寺に於て使用する所の食器の椀も、亦其の数多くして貲るべからず、故にこれお造ること甚多かりしなるべし、其の造る所の椀に類似せる者四方に伝播せしより、世人これお正法寺椀と称するに至りしならんと、又雲く、南部椀は、陸奥の三戸郡浄法寺村より出づ、同郡畑村にて椀お作り、田山村にて漆お塗る、此の地皆南部氏の管たりしお以ての故に南部椀と称せり、而れども南部にては、浄法寺椀といひ、他の地にては、南部椀といふと、
○按ずるに、浄法寺椀とは、陸奥国三戸郡の地に於て製せし椀にして、内部は朱塗外部は黒塗に為し、朱お以て雲及び草花等の摸様お画き、所々に金切箔お押せり、世に秀衡椀と雲ふ、正法寺椀とは陸中国江剌郡正法寺に於て用いし所の椀にして、根来〈俗に雲ふ奥州根来〉に塗りし者お雲ふ、