[p.0041]
紀伊国名所図会
六下/那賀郡
荒田神社 この地〈○荒田神社の辺〉は、いにしへ根来寺全盛のときは、みな境内にてありしお、天正十三年のひやうくわにかゝりて荒廃に及ぶ、根来とはやう〳〵椀折敷の異名にのこりて、人々これによびならし、〈○下略〉
○按ずるに、正応元年、紀伊国高野山の僧徒、故ありて多く那賀郡に移住して、根来寺お創立せり、根来椀は蓋し此時より製せしものならん、其髹法は、朱漆お以て之お塗る、或は黒漆お以て、台輪の内部のみ塗りたる者もあり、全体黒漆お以て塗りたるお、黒根来と雲へり、天正十三年に至り、豊臣秀吉と戦ひて、廃滅せられ、漆器の製も随て廃するに至れり、