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骨董集
上編中
重箱硯蓋
今の硯蓋といふものは、いと近年比造出したるものにや、古き絵に見えず、〈元禄十七年の〉印本の絵に、重箱ありて硯蓋なし、卵子酒〈宝永六年作享保七年板〉の絵に、硯蓋ありて重箱も交りてあり、自笑の草紙〈宝永七年板〉の絵には、硯蓋のみありて重箱なし、これより後西川祐信がかける印本の絵などお、あまた見るに、硯蓋のみありて重箱はなし、これ等おもておもふに、重箱に肴お盛ことは、元禄の末にすたれて、硯蓋に盛ことは、宝永年中に始りしとおもはる、但硯箱の蓋に菓などお載たる事は、古き記錄或は歌集などに見えたり、山の井〈慶安元年印本〉巻之五に、新黒谷の花見の事おいへる条に、あやなる硯箱やうの物のふたにくだものいれ、青きひとりにたきものゝえならぬ、くゆらせたり雲々といへるも、ふるき物語ぶみの体おうつせるものとおぼゆ、近世好事の者、古へ菓お盛たるにもとづきて、硯箱の蓋に肴お盛しが始となりて、つひに一種の器物になりしなるべし、されば硯蓋は式正に用ゆる器にあらず、〈○中略〉
三匹猿〈支考撰、上梓の年号なし、 按るに宝永の比なるべし、著作堂蔵本、〉
〈附合の句〉菊の香に菓子とりまぜて硯蓋 蘭小
硯蓋に菓子お盛たる事、近は此に見えたり、本朝諸士百家記〈宝永五年印本〉巻之五雲々なんど、とりつくろひての饗応、硯蓋に干菓子うづだかくもりて、結のしふさやかにけはふたるは雲々、こゝにもかくいへり、硯蓋に干菓子お盛しは、いにしへ菓お盛しなごりにや、とまれかくまれ肴お盛一種の器物となりしは、宝永以後の事なるべし、今さま〴〵の形お造かへて、硯蓋と称るは、原おうしなへる也、