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玉函叢説

絵三方
保延元年、五節の殿上の饗の雑物の中に、絵折敷三百枚、白き折敷百枚とみへたり、此白き折敷とは、胡粉塗たるのみにて、画ぬなればなるべし、さはえがゝぬおばぬりて、えがけるおば本のまゝにやはおくべき、〈絵おかゝぬにも、胡粉塗なりのあるに、今木地の上に画きたるは誤り也けり、但し檜破子のやうの喰物たゞちにいるゝ物は、木地の上に昼くべし、それも折たてなど有べき物は、塗べきにや、古き絵の絵折櫃も胡粉にて木地のやうには見へず、〉彼三百枚の絵折敷も白き折敷の上に、猶絵おくはへたるなる事明らけし、当時近衛殿の元服し給ひし時の絵折敷も胡粉地なりき、また宮方の元服著袴などの御いはひの絵三方も胡粉地也き、是等誠に古きやうおうつされたりと覚ゆ、古しはいたくうるはしくせん料には、沈の折敷銀の折敷などは、物語などにもあなり、〈○註略〉されど箔してだみたる事は聞へず、宇治平等院御幸の御膳の御台も、表には錦おおされ、伏輪まではあれども、裏には紺青地に画き、貝摺られたり、〈○註略〉供御のだにかくあれば、たゞ人の料いかであらんや、誠に箔してだみて画くは、いたく下れる世にし出きたる成べし、さて其絵もおさ〳〵しき事はあるべからず、〈○下略〉