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筆の霊
前篇六
善一按に、四方は台の中にて、其横長き品、あるは円き品にわけて、四方同じ形なるおぞ雲べき、眼象四方にあるのみの事と思はんは合ふべからず、又三方と雲あり、是は四方と同じ様なる物なれど、四方は横目の木おまげたる、其縫合せお角にて為けんか、又は古制は木お竪にして、四方に付け、各眼象えりけんかもしらず、其横目の木お用ふる者、真中にて縫合する事、今の三方の制の如きが、たもちも好く万に便ありとて、然作る事始りて、中にて木お継合すれば、そこには眼象えり難くなりて、三所に眼象お付れど、猶実は四方なり、然るお古の書に、四方は眼象四方にある由の名と思へるは、ひが事なるべし、又三方と雲名は、其眼象の三つあるに因ると思へば、聞ゆるが如くなれど、眼象四方にあるが常なるに、殊に三方につけて三方とよび、別に一の台の品とし、種おわかちふやすべきいはれなし、然れば三方といふ名は、もとひが事にて、其もなほ四方と雲べき具なり、故に三方の名は古書に見及ばず、四方は中右記嘉保元年三月十一日の条に、朱大盤廿七とて、先つ四方六つ、次に小大盤十九、次八又二つ、次第如之、此中八尺長二つ、四方六、小大盤十九、已上例史所持之とあり、此四方と雲物、推はかるに、眼象ある者おさして雲べきにあらず、後に雲ふ如く、小き物にもあるべからず、そは次に小大盤とあるにて知るべし、又八尺長二とあり、是は横長き台お雲ふなり、其長きに対へて、方なれば四方といへるなりと聞ゆ、方台など雲ふべき如くなれど、四辺同尺の義お雲ひあらはさんとて、四方とは雲ひならへるなるべくこそ、