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古事記伝
四十二
本陀理登良須母(ほだりとらすも)は、〈○註略〉秀樽取(ほたりとらす)もなり、樽はもと酒お盃に注ぎ入るゝ器なり、〈説文に尊注酒器とあるにて知べし、尊と樽樽と同じことなり、此方にて多理(たり)と雲物も、古は酒お注ぐ器なりし故に、此字お当たるなり、されば古の樽(たり)は、後世に瓶子銚子などお用る如く、用ひたりし器なり、然るに後世には樽は酒お入れ置く器となりて、荘ぐ器には非す、○中略〉多理(たり)と雲名の義は、垂(たり)にて其口より酒の垂り出るよしなるべし、〈後世には多流(たる)と雲は、転れるにて、鳴鏑おも古はなりかぶらと雲しお、後にはなるかぶらと雲、橡おも古はれりきと雲しお後にはたる木と雲類なり、〉和名抄には漆器類に、弁色立成雲、樽字亦作樽、見説文、今按無和名とあり、延喜式にも酒樽はいと希に見えたるのみなり、〈是お見れば、古に多理(たり)と雲し名、中ごろ京畿には失て、辺鄙に残れるが、後に又広く普くなれるにや、〉秀(ほ)とは其形の長(たけ)高きお雲なるべし、