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塵泥
十二
忠憲雲、或説に柳樽は松永弾正久秀の製しはじめしよしいひ伝ふれども、此松永より以前の旧書どもに、柳樽の名見えたれば、此説信じがたし、また一説に、柳樽は河内国柳川より出るところの、樽の名お号するといへり、これもよりどころあるに似たれども、おそらくはうけがたきことにや、おもふに柳樽は伊勢山岡の説のごとく、柳の木お以て造るよりの名なるべし、援に今の俗に柳樽お婚礼の目錄に、家内喜多留と仮名になすは、ひたすら故実古法にあらず、旧書に家内喜多留と書ることは、たゞに一書にも所見あらず、但進物の注文に記せるには、柳幾荷とのみ書して、樽といふ文字おだに記さず、況家内喜多留に於ておや、