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海人藻芥
山名修理大夫入道〈紀州作州両国守護〉之比、仁和寺に居住之間、年始に罷向彼宿所之処、二三献の義あり、毎度各盃也、銚子は片口お裹たり、此事高尾張入道以正難之雲、銚子の口お裹事は、全分略義也、彼禅門の家中には不足なり雲々、於以正者雖不肖の身、片口の銚子以下、祝の義式の具足は、高武州師直が代より、京中の職人給之間、如形不足なしと雲々、