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愚管抄

一後京極殿〈○藤原良経〉は、院もいみじき関白摂政かなと、よに御心にかなひて、よき事したりと、ひしと思召てありけり、〈○中略〉中御門京極に、いづくにもまさりたるやうなる家作りたてゝ、山水池水峨々たる事にてめでたくして、元久三年三月十三日とかやに、絶えたる曲水の宴おこなはんとて、鸚鵡杯つくらせなどして、いみじくよの人もまち悦て、松殿の女お北政所にせられたり、