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雲錦随筆

武蔵野の盃 摂河近郷の方言に、集会の酒宴闌に成、既に盃お納んとなすに及んで、客より主に乞て、最早武蔵にして納め給へといふ事お例とす、按ずるに、古代の作に、武蔵野と号し大盃ありて、内一面芒の描金お書たり、正く此武蔵野お順盃にして、納め給へと言しお、後世略して武蔵といひ、又其風(なら)ひ忙て、今様の盃の大なるお出して、納の盃となすおも、武蔵と言へるなるべし、平野の郷なる、多治見氏の蔵せられしお、援に摸写して左に出たり、〈○図略〉其品頗る名作にて、至つて薄く軽し、猶糸底なし、香台など附たるは、総て後世の作なるべし、下地黒漆の上、総、金箔押たるが、時代にて摺はげ、所々に些づゝ金箔のかすり残りたり、芒金蒔画、露錫粉、外同箔押摺禿蒔絵なし、則ち円きお月に擬へ、武蔵野の月の景色お象りしなり、和漢三才図会按雲、〈○中略〉爾有ば古代の杯に糸底なきは、土器に准ふが故なる事明けし、鎌倉雪之下大井氏の蔵する、和田酒宴の盃、又同所教恩寺の蔵たる、北条泰時の杯、径四寸許、黒漆地の上、総金箔押描金ありて、製作此武蔵野同様なり、又河内国錦部郡古野の極楽寺の什物たる、源廷尉義経朝臣より軍功によつて、那須与市宗高に賜はりし盃も尚是に同じ、猶前にいふ織部といふ小き杯は、古田織部正の好にして、遥に後世の作也、既に其頃には糸底香台等おも附て、今時の器のごとく成しなるべし、