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仮名世説

江戸座の徘諧師神田庵が家に、紀文が凉の酒盃(○○○○)と称するものお収めてありしお、みたる人のかたりしは、何も別に工せる事もなき朱塗の盃にて、世にいふ小原の形したり、内は鉄線からくさお、猫の画にしたるものなりき、神田庵主の話に、むかし紀文盛なりし頃、一とせ夏の事なりしが、その日紀文は浅草川に船あそびするよし、世間にいひもてふらせしかば、いかなる遊びおかするならんと、是お見物せんとするともがら、其日にいたりぬれば、われおくれじと競ひて舟に乗りしかば、川の面は水の色さへ見わかぬまでに、所せくもやひつれ、今や紀文が舟は来りなんとて待ち居たりしに、夕日かたぶく比にもなりぬれど、それぞと覚しきもみえねば、後にはこゝかしこふねおさゝせて、尋ねめぐるも多かり、やゝともしつくる比にもなりぬれば、ここにも盃流れきたりぬ、かしこにも取りあげたりなど、いひのゝしりて、やがて舟のうちどよめき、見物に出でし数艘の舟、後は酒のみ歌うたふ事もせで、川づらのみ守りいて、たゞさかづきの流れよらんことお待ちて、夫のみあらそひ興じけり、こはまさしく紀文がなしたるわざなるべし、いざみなかみお尋ねばやと、舟お墨田綾瀬のほとりまでもさしのぼせ、いたらぬくまもなくさがし求めけれども、其夜はさらに紀文が舟おば、見あたらざりしかば、夜ふけ興つきてみな人帰りぬとぞ、紀文は其日舟あそびに出づるとのみ、いひふらしおきて、自分は家にありて盃ばかりながさせしとぞ、後に人々伝へ聞きて、その風流お称しけるとなん、