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嬉遊笑覧
二下/器用
考槃余事、提合足以供六賓之需といへるは、六人前の弁当のさげ重なり、尺素往来に六納(いれ)の檉梚、下学集、食籠檉挽、また提炉といふ物あり、これは茶弁当なり、さげ重といふ物、他に持行ものにて、これも弁当とおなじくて、品よき方にや、今は坊間などには、廃れたる物なれど、五人づめ七人づめの弁当箱ありて、古道具屋に出て買ふ者もなければ、組入たる膳椀重箱一品づつ分ちて売、よき蒔絵したるなど往々あり、これらみな提重なり、似せ物語、天王寺に能ある条、人人さげ食籠もてきたり、もてきあつめたるくひもの、千々ばかりあり、そこばくのさげ重箱お木の枝につけて、堂の前にたてたれば、山も更に堂の前に、ひかり出たるやうになむ見えける、
重箱は狂言記、菊の花などに見え、又林逸節用に載たり、好古日錄に、重箱は慶長年中、重ある食籠にもとづきて始て製造す、されども其用ひたるやうは、折櫃と同じ、おりうづは、檜のうす板お折曲て筥に作る、形は四角六角さま〴〵なり、今はこれお折といふ、足利家の頃のものにも、専ら折と書たれば、これも近世の称呼にはあらず、折うづに肴物餅菓子何にても盛、檜の葉おかひ敷、四すみに作り花などお立て飾とす、蓋あり、御前へは取て出す、昔の画おみるに、重箱も一重づゝ分ちて、肴お盛り、草木の枝お四隅にさして飾れり、元禄ごろ迄は、飲席にも是お用ひたり、其後今の硯蓋出来て、酒の肴はこれと皿鉢とに盛ことゝなり、重箱は正月用るのみなり、〈三月の重づめは、ひな祭美麗になりてよりのことなれば、昔よりの事にあらず、〉