[p.0299]
窻の須佐美

味方が原の戦に、神君〈○徳川家康〉の御馬流矢にあたりたるまでにて、猶敵陣へ向ひ給ふべき御気色なりしに、夏目杢左衛門我馬お給りて向ひ申べし、はやく御退おはしますべきよし申ければ、女此馬に乗てあやまちあるべしと仰けれども、打乗て敵に向ひ働て討死しけり、其子に禄お給り、御側近く召仕れけるが、ある夜同輩お討ければ、衆人騒ぎけるお、君は刀お持給ひて御尋あり、御台所にて大釜(○○)の中へ追入られ、蓋おおほひ、その上に御腰おかけられ、尋ね来りたるものどもに、いまだ行衛しれざるやと御尋あり、とかく見えざるよし一統申ければ、彼等お退けられ、近臣ばかりに成て後、彼ものお御呼出し、隻今はやく立退候へと仰ありければ、行衛しらずなりけり、年経て後召出され、本のごとく召仕はれけり、父が忠節に報い給ふ事と思はるゝと、人のかたりし、