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一話一言
二十九
江戸風俗の事〈○中略〉 器財之部 行平鍋(○○○)
近きころまでは、羹おとゝのゆるには、かならず土にて鍋の形せる小き器お用ひ、一人々々に供するに便りとす、其後安永のころよりは、銑おもつて、いとあさくちいさき鍋お造り出しけるより、いつとなく土鍋のまゝ供する事すたれぬ、其後天明の末より、又土にも平椀の形ちしたるものに、汁うつすべき口おつけ、又とり手おつけて持に便ある器お製し、行平鍋と称す、此うつは一度出て、一人々々の配供に甚便りあるおもて、鋳鍋漸衰へたり、貴人の器にあらずといへども、冬日不可闕の器とはなれり、そも行平の名、何によりて名付けるや、いといぶかし、もし平椀の用にして、暖食せる縁によりて、湯気平といへる心にや、又は中納言の卿、須磨のさすらへのわびしさに、かゝる器おもて味ひおとゝのへ、長き日お消し給つるにやとおぼつかなし、右中川飛州手書なり