[p.0341][p.0342]
本朝文鑑

摺小木銘〈並序〉 藤如行
数ならぬみのゝお山の松の木は、君がやちよのためしにもひかれず、谷の坊にこぢとられて、すげなき法師にせられ、名おさへ摺小木±よばれぬる、すくせの果報も無念ならずや、そも七種のゆふべより、御忌御影供の寺々おかけめぐり、唐辛のために目おおどろかし、芥子のために鼻おはぢかれて、蓼にはいかり、胡麻にはよろこぶ、その心さらに定る時なし、かくて玉まつる比のいそがしさ、たま〳〵葎の壁にかゝりて、蛩の音にねぶらんとすれば、俄に碪の槌にやとはれ、或は吝気の鉄丁にふりまはされて、果は台所の転寝もわびし、ある日は大根おろしに心せかれ、ある夜は貝杓子の音に起てさまよふ、まして時雨に雪のちる比は、其汁此汁にいとまお得ず、春のはじめの雑煮より、大年の果の夕飯まで、生涯さらに五十年とは知ながら、かく摺くらすこそ口おしけれ、かゝる娑婆界おへめぐりて、賤男賤女の麪棒とならんより、今年は永平寺の会下に行て、江湖の僧お供養せば、おのづから三十棒の結縁にあひて、豁然大悟の暁にいたらざらんやと、おのが片腹お押けづりて、此心おぞ銘じ侍る、
さもあれ世帯の夢さめて松風の音ぞ峯に聞ゆる