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和漢文操

摺小木針 仙里紅
そも〳〵万物万象の中に、摺小木といふ物ありて、目もなく耳もなけれども、用ゆれば竜の雲にはたらき、用ひざれば葎の壁にかゝる、しかれば混純未分のかたちより、無用の用なる物といふべし、こゝに女が生得お評せば、いら蓼の日の肩おいらゝけぬる、辛の時の身おなやして、利きも其日の用なれば、鈍きも其時の用ならん、こゝに女が奉公お評せば、そも元日の雑煮より大晦日の夜食まで、日に三度づゝ躍あるき、白みそによろこび、赤みそにいかりて、あたまのはげるもおぼえずや、されど深山木のそだちなれば、松の一ふしのそくさいにて、たとひ留守の戸の隙なるも、そこにぶらつきて横寝はせず、こゝに女が名聞お評せば、霜月の廿三日には、大師講とてあづき粥おそなへ、其日の雪お摺小木がくしといへば、雲母(きらヽ)坂の明ぼのに誰まことよりちらつきて、嘘もあらしのあれぬ時なし、誠やその祖師の片輪なるより、其脚のあとおかくさむとて、おのが憂名にかへたるよし、仏縁はいとたふとしや、さはれど人間の脚お摺小木にして、師走の坂お越えかぬる日は、雪もかくすに所なき也、援におもへば、摺小木の境界は、身に著ず口にむさぼらず混々純々たるべきお、比叡の山法師にそゝなかされ、横川の杉の嵐に高ぶり、天狗の鼻の慢心おつたへて、ある時は遊山の弁当につれだち、ある日は吝気の鉄丁にまはされて、果は化物揃にくはゝり、たちまち一目お生ずれば、摺鉢の笠お著そらして、伽藍にひゞき谷にごたへ、山また山おめぐるとて、其名もめぐりと呼れぬるは、三界転廻のくるしみも、いづれの世にとおそるべし、されば古人の針に、心の手綱おゆるすなとは、肥馬軽裘の人おいへれど、女はいつも裸身にして、たとひ月見の船にうかれ、花見の幕にあそぶとも、おのが身ざまに、しのぶべくもあらずは、色このまざらんにはしかずと、心の下帯おしむべき也、
註曰、〈○中略〉大師講とは伝教大師の事なりとぞ、按ずるに、其日は小豆粥の初穂お摺鉢に入て、摺 小木お中に指入れ、台所の棚に供ふ、此式は下様に起りて、諸国に色々の品ありとぞ、