[p.0358]
歷世女装考

柄鏡(○○)
柄のつきたる鏡お、唐土にては柄鏡といひて、いと古くよりありし物な軋〈○中略〉中昔〈七八百年前〉の比及にいたりては、仏法盛なりしゆえ、仏にも鏡お供養する事となりて、それには大かた柄鏡お新に鋳て奉納する事とみえたり、〈○中略〉案に、神仏へたてまつるに柄お作るは、建おくに便利ためなんめり、〈○中略〉此図〈○御飾記〉にても柄鏡は、衣冠お正す物なるよしぞしらるゝ、且又和漢とも、古き柄鏡にはおほかた柄に孔あるも、座右に掛おくためなるべし、〈○中略〉
今のごとく鏡はかならず柄ある物となりし時代お考るに、おのれが蔵する完永の間の画に、浴後の美少年、湯女とみゆるに髪おゆはせながら、柄鏡お採りて顔お視るさまの図あり、又正徳二年の和漢三才図会の鏡の所の図に、円鏡と柄あるかゞみと二つならべて画けり、又元文三年〈正徳二年より二十七年のち〉西川祐信が筆の絵本貞操草に、島田にゆひたる娘、円鏡と柄鏡にてあはせかがみする図あり、これお参考するに、今のごとく鏡といへば柄ある物になりしは、僅に百年以来の事なるべし〈○下略〉