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桂林漫錄

古甲胄
完政改元の春、日州諸県郡六日町と雲所の、弥右衛門といふ農夫、埭田に流お引かん為、溝お堀こと数尺、忽ち一の古塚に逢ふ、穴は横さまに堀りたり、棺材已に朽たるや、一片の板お見ず、穴の四辺の赤かりしと雲ふは、棺お実たる朱の色の残れるなる可し、穴内骸骨無く、歯一枚、鑑三枚、刀身五把、鉄甲胄一具、玉数顆〈俗に雲、勾玉、管石と称する物の類、〉其他、遺欠の物、若干お獲たり、鑑は博古図に載する所の四乳鑑にして、〈○註略〉純青翠の如し、鏡背の花紋、細きこと髪の如く、纎毫の糢糊なし、〈○中略〉相伝ふ、昔安徳帝西海の難お避玉ひ、終に此地にて崩御給ふ、其廟お院社と称し、其陵お院塚といふ、〈○註略〉物換り星移り、いつしか陵の所在お失しが、此塚院の社お去る事遠からざれば、是なん疑ふ可くも有らぬ院〈の〉塚にして、何れも帝の御物なる可しと、土俗の雲ひたる由お記せり、