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歷世女装考

釵子に耳掻お作り添し肇
笄に耳かきのあるは、前にしるしたる如くいと古し、かんざしの耳掻は近し、〈○中略〉おのれ〈○岩瀬百樹〉文化十三年上京の時、加茂の季鷹大人に玄ば〳〵対話しつるに、ある時、話右の事におよびけるに、大人謂やう、閑窻自語にかゝれたる如く、かんざしへみゝかきお付たるは、宗直ぬしの創意なり、然るに其頃北野に開帳ありしに、さかしき商人、宗直の創意お襲ひ、梅ばちの紋に、みゝかきある銀ながしのかんざしお、北野の社内にて売けるに、人々もてはやしたるより、みゝかきある簪世にはやり、今はかんざしといへば、耳掻ある物になれり、今げいこどもがさす、べつかふのかんざし、もし唐人がみば、日本の女は耳の穴ひろしとおもふべしと、大笑ひしたる事ありき、件の説どもに拠ば、簪に耳掻ありし肇は、享保三四年の事なるべし、