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閑窻自語

東福門院御簪事
東福門院の御かんざしとて、当家〈○柳原〉にもちつたふるあり、こがね(○○○)にて作り、うへに三色のたまおつゝみつけたり、安永年中そのかたによせて、しろがね(○○○○)にてつくらしめ、三色のたまおいれて、家内のものにさゝしむ、内院の女房、あるは友なる人々など聞および、所望ありてつかはしぬ、されば玉えがたきによりてつくらしむる事かたし、そのうへ、これはいやしきものゝさすかんざしにはあらざるべし、のち〳〵心おうつし、世間の人は、享保のはじめまでの如く、花すゝきなどのみゝかきなきかんざしおさすべし、この玉のかんざし、あるものしりがほなる人びとにかたちていふ、かんざしに玉いるゝこと、いにしへはなき事なるべし、所見なしと、此事ちかき書にあり、