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甲子夜話
四十九
この七月、〈甲申〉或所にて楽善坊に逢たり、その時、以前の戯場のことも聞たる中、〈かつら是れは頭の当る所に、銅版お首形になして、髪おうへたるものなり、俳優の称にははぶたへと雲ふ、〉と雲て、今一般に用ゆるは以前はなしと雲たるゆへ、何つの頃より始りたるやと雲ひたれば、王子路考の頃よりと雲き、〈王子路考とは、名は瀬川菊之丞、王子村の人なり、頃は松平南海懇意せられしものなり、予も能く知る、〉然れば未だ百年には余ほど足らざることなり、其前はと問たれば、女形は皆地髪にて髢は用ひずとぞ、〈○中略〉男形は事によりかつらもありたるが、皆入れ髪計にて、鉢かねのつきたるものなしとぞ、然るに今は侯第の婢女なぞ、狂言とて為る者、地髪の飽迄あるに、強てかつらとて冒ること、其本お知らざる由り起る、