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服飾管見

宝髻令お考るに、一品以下四品已上各別製あり、女王五位已上、位及階毎に各別製あり、内命婦また位及階おわかつ事、女王に准ふ、義解に金玉お以て髻の緒おかざる故に、宝髻といふと見えたり、又西宮抄に朝拝供奉の女房の装束お記せし中に、有徽不載儀式と見えたり、令に徽てふ物おいはざるは、礼冠の徽、礼冠にはなれざれば、別にのせられず、是にならひて内親王女王内命婦の宝髻のしるしも、別に載られぬ也けり、〈○中略〉又北山抄即位の条に、不用簪用纂、是位験也と記して、首書に可用徽字とみえたれど、此頃既に礼服廃れて異説のみ多し、まして婦人の礼服は、ことに変りし也、〈○中略〉考るに、唐の両博髻も、髻の緒につくるならで付べき処なし、且宝鈿お飾るなれば、此朝に宝髻てふ物則是也、但唐の両博髻にたがへるは、礼冠に准て、徽おくはへて、品位及階おわかてるのみ、されば宝髻と名おかへられしにぞ有ける、其徽は礼冠の徽に同じかるべし、左右の博鬢より彫櫛の前にわたおつけて、その上に徽おたてし事しらる、〈実躬卿永仁六年御即位記に、伯家褰帳女王雑事、文保二年の記お引て、位験一頭、釵子上居金鳳含玉一顆、高一寸、長一寸とあり、釵子の上に居といへる、い土ゞきの前にあたれる、是古への遺風也、但その徽金鳳なることは物にみえたれど、宝髻既にたへたれば、建べき所なきまゝに、徽の下に鐶などして、釵子もてかためしなるべし、〉