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歷世女装考

びんさし
今お去ること六十余年前、天明より完政にわたり、婦人の髪にびんさしとて、鯨又はべつかふなどにて、鍋のつるのやうなる物お作り、是に鬢の毛おかきなで、びんお張り出して結ふ風はやりし事、今六十以上の人の知る所なり、大坂の俳諧師匠伊原西鶴が、貞享の比の遺稿お、元禄八年に板行したる俗つれ〴〵〈巻四〉に、振袖の女おえがき、髪の風、著服、足袋、はき物にいたるまで一々に系お引て細に傍註したる中に、前髪の所に系お引て、ふきまへ髪、くぢらのひれのまがりたる物お入て、髪のうごかぬやうにとあり、野群談〈享保二年、大坂自笑其磧合作、〉巻二、当世の女しゆは、〈○中略〉水牛の鬢あげ(○○○)、針䤼入りのはね元結とあり、享保のころも、つとあげ(○○○○)といふ物ありしとみへたり、是びんさしの萌なり、さてびんつけ油はじまりしよりのちの、草子どもにある〈○註略〉婦女の図に、びんお張出したるはさらになし、〈○中略〉然るに安永八年の京板に、当世かもじ雛形とて〈全一冊〉婦人の半身おえがき、種々の髪の風お図して、一々髷と鬢との名おしるしたる図二十二種ある中に、びんさしお入れたる図二つあり、因て思ふに、天明にいたりては、びんさしして鬢お張出し髪の風、京に流行たるが、江戸の市婦にうつり、完政享和の比及までも、婦としてびんさしならざるはなかりしに、四十年前の文化にいたり、びんさしおすてゝ、びんおちいさくふくらめゆふお、おとしばらげと唱へて京よりうつり、〈京は安永の末に此一風ありき〉おり〳〵は京婦にもみへしが、今は世上歙然として此風なるは、復古(むかしにかへり)しともいふべし、〈○中略〉西土にもびんお張てゆふ風ありしなり、