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近世女風俗考
鬢の事
完延宝暦より、図〈○図略〉の如く、今一と際高く成たり、是おさし鬢といひし也、すべて延宝の始頃より、鬢の形長く成たれば、下よりかゝゆるものなくては協はざる理也、〈○中略〉傾城野群談〈貞享二年印本、自笑其磧両作、〉二之巻、歌比丘尼の詞に、当世の女衆は、厨糸つむぐまで玲瓏の玳瑁くし、〈○中略〉水牛の鬢上、針線入のはね鬢雲々、また江戸紫〈享保十六年印本〉鬢刺かじやまで寐苦し留守の蚊帳、といへる前句附もあれば、享保頃ありし事は論なし、予〈○生川春明〉しば〳〵案ずるに、此鬢刺といへるもの、稍古くより有しものとはみゆれど、何れの頃よりといふこと、たしかなる証書お得ざれば、委細には考記がたしといへども、心みにいはゞ、延宝の頃より用ひし物か、其故は先々も論ぜしごとく、当時鬢の姿長く成たり、去ば下より拘ゆるものなくては止らざる理也、元禄初年頃、西鶴が作せし俗つれづれ四之巻に、美女の姿おあらはして雲、吹前髪鯨の鰭の曲たる物お入て、髪の動かのやうにすと雲事お載たれば、鬢に物入る事は論なかるべきか、尚古書お嗉(あさ)り、たしかなる証お得て定むべし、〈再案ずるに、俗徒然に、髻さしの事お挙ざれば、此頃いまだもちひざりしか、又は時世粧お専にいわんとて、かけるものときこへたれば、其以前より有し物ゆへ、あらためては挙ざる物か、さ〉〈だめがたし、○中略〉又雲、無論里問答〈刊行年号なし、案に明和年間なるべし、〉一之巻、〈○中略〉鬢指は鬢張と姿おやつし、〈(中略)とあれば、鬢刺は明和の頃廃りし物成べし、〉