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武辺噺聞書

一関が原御陣の時、伊勢国津の城は、富田信濃守信高籠城す、〈○中略〉城主富田信濃守自身本丸の大手へ出、数度鑓お合せ戦故、頼切たる兵〈○中略〉討死す、〈○中略〉城中より容顔美麗成若武者、緋威の具足に、中二段黒革にておどしたる半月打たる甲の緒お〆、片かまの手鑓おつ取、富田が前へ出、鑓合、五六人手負せ、猶進て戦、富田かの若武者お不見知、若分部左京が小性かと思ふ、いかに左馬之助あの若武者は京兆の小性かと尋る、左馬助いや、みしり候はず、左京小性にては無之候と雲、若武者の内甲おみれば、年の頃廿四五にも成候半、化粧して鉄漿黒、爪臙脂(○○○)さし候、必定女にて候らむと雲、富田はまた敵の込入けるお門外はるかに突出し、引取様にかの若武者の内甲おみれば、〈○中略〉富田北の方なり、〈○中略〉此北の方は、宇喜田安心の息女とぞ聞へし、