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歷世女装考

塗鬢膏の沿革
おのれ〈○岩瀬百樹〉が茶友に、薬店の隠居宗香とて、天保元年に行年八十七歳の翁にて、頗好事もありけるゆえ、薬種屋にて伽羅の油お売りしといふよし、きゝつたへありやと問ければ、翁いはく、吾家は忰にて四代薬種屋なり、吾父は宝永二年の生れにて、七十七にて、天明元年に没せり、吾若年の比、父が語りしは、今伽羅の油とて一つの家業となりしが、元来は我が店にても売たる物なりときく、其はじめは、或武家の中間、松脂と地蠟とお度々買ひにこられしゆえ、なにの薬につかひ玉ふと尋ければ、これおとらかして、部屋のものらがびん付油につかふのなりといひしが、そののち匂ひおすこしいれて、伽羅の油と名付、薬種屋仲間に売るものありしゆえ、わがみせにてもうりたるに、よくもうれざりしよし、そののち香具屋にて上製の油おうりはじめ、薬種屋のはすたりたりと父がはなしなり、薬種屋にてうりし物なるゆえ、一両目二両目の名あり、今其名の残りしは、両替町の下村ばかり也と、宗香かたりしは、天保元年の事なりき、亡兄醒斎翁所蔵せられし、正保年中、下村が店のびなんかつらの引札〈牛紙一枚〉今にあり、目標も名も今にかはらず、めでたき旧家ゆえ、両目の名も残りしならん、店前におしろい凸のかんばんありて、そのうへにびなんかつらのたばねたるおのせおくおみて、むかしおしのびしが、今はみえず、