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宇治拾遺物語

これも今はむかし、法輪院大僧正覚猶といふ人おはしけり、その甥に陸奥前司国俊、僧正のもとへ行てまいりてこそ候へといはせければ、たゞいま見参すべし、そなたにしばしおはせとありければ、まちいたるに、二ときばかりまで出あはねば、なまはらだゝしうおぼえて、〈○中略〉いかにせんと思まはすに、僧正はさだまりたることにて、湯ぶねに藁おこま〴〵ときりて、一はた入て、それがうへに筵おしきて、ありきまはりては、さうなくゆどのへ行て、はだかになりて、えさいかさいとりぶすまといひて、ゆぶねにさくと、のけざまにふすことおぞし給ける、陸奥前司よりて、むしろおひきあけて見れば、まことにわらおこま〴〵ときり入たり、それおゆどののたれぬのおときおろして、このわらおみなとり入て、よくつゝみて、そのゆぶねにゆ桶おしたにとり入て、それがうへに囲碁盤おうら返して、おきてむしろおひきおほひて、さりげなくて、たれぬのにつゝみたるわらおば、大門のわきにかくしおきてまちいたるほどに、二時あまりありて僧正小門より帰おとしければ、〈○中略〉僧正はれいのことなれば、衣ぬぐほどもなく、れいのゆどのへいりて、えさいかさいとりぶすまといひてゆぶねへおどり入てのけざまにゆくりもなくふしたるに、ごばんのあしのいかりさしあがりたるに、尻ぼねおあらふつきて、としたかうなりたる人のしに入てさしそりてふしたりけるが、〈○中略〉目おかみにみつけてしにいりてねたり、