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骨董集
上編中
火燵
火燵といふものは、近古いできたるものなり、火燵のなき以前は、物に尻かけて、火鉢にて足お煖たるよし、古き絵巻に其体おえがけるあり、〈○中略〉下学集〈文安〉火燵の名目見えず、尺素住来に、竹炉生炭木床置衾、可備風雪之迫候とありて、火燵のこと見えざれば、文安文明の頃までは、火燵といふものなかりしなるべし、饅頭屋節用〈文亀中初刻詞花堂蔵本〉火燵火踏かくのごとく見えたり、これおもて按に、いよ〳〵火燵は、文明以後にいできしものなるべし、〈○中略〉或は按に、火燵は地火炉のなごりならん歟、〈○中略〉此地火炉の制うつりて火炉となり、火炉におほひの楦おつくり出て、そおやぐらといひしなるべし、櫓と名づけしおもておもへば、戦国の時の制にやあらん、芝居の櫓の形に似たるゆえの名にはあらざるべし、〈○中略〉
完永二十年印本、ねずみ物語〈杏花園蔵本〉に、富る者の事おいへる条に、冬は置火に高ごたつ、段子の蒲団お打かけて雲々と見えたり、又完永より明暦の頃の俳諧の句に、高火燵といへることおほかり、おほひの楦お高くつくれるから、櫓の号はいできしならん、
火燵並地火炉再考追加
嫁迎記、よめいりのよ、いしやうの事といへる条に、こそでのだいには、こたつのやうなる物にて候、くろくぬり候て、かな物などあるものにて候〈とあり、これは東山殿のころの事おかける古記なれば、当時はやくこたつといふ物のありし証とすべし、これによりておもへば、文明以後にいできし物とも決がたし、○中略〉宗長手記〈下巻〉大永六年十月の条に、ある夜炉火しどろなる火榻(こたつ)し、ねぶりかゝりて、紙子に火のつくおもしらず、おどろきて雲々、又同七年十二月の条に、このあかつき、火榻(こたつ)にあしさしならべて雲々とあり、元本火榻の字にかなはつけざれども、火榻の二字おこたつとよむべき例は、明応の撰也といふ林逸節用集に、火燵脚榻(こたつきやたつ)〈此きやたつと雲物は、今ふみつぎ又ふみ台と雲物のたぐひなり、〉とかなおつけたれば、音便にて火おことよみ、榻おたつとよむ、当時の読くせなるべければ、火榻の字おもこたつと読べき也、
さて右の書に炉火しどうなる火榻し、とあるお考るに、当時こたつといへるは、今雲こたつやぐらの事ときこゆ、今炉火おこたつと雲はいにしへにたがへり、嫁迎記に、こたつのやうなるものとあるも、今の言にていはゞ、こたつやぐらのやうなる物といふ義ならん、いにしへの通例のこたつは、今のよりは、ひくゝありしなるべし、完永のころ、別に高ごたつといへる物ぞ、今のこたつやぐらなるべき、さるからやぐらと雲名おおひしこと、前にいへるがごとくならん、今も信州のこたつは、うへお板にてはりつめ、すこしあひだおすかして火気おもらす、高さは通例よりひくきよし、それぞ古制のなごりなるべき、格子おつくるは後ならん、