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和漢文操
七/伝
箒伝 井童平
天地いまだひらけざる時は、霧のごとく霞に似たるお、天津朝起の神ありて、それお掃よせ給ひぬれば、ひとつの島となりけるお、伯耆の国と名づけ給ひ、唐詞には伯州ともいへる、世界に秀句のはじめなりとそ、さて白幣青幣など、社おきよめ神お凉しむるより、天にかゝれば彗星とかゞやき、地におふれば箒木とさかふ、まして人間の用にたつ時は、金殿おひらきて、玉箒の歌によまれ、民間に光おやはらげては、藁箒(○○)の塵にまじはる、いとゞ飾羽の公義むきには、卓の香炉に名おならべて、三つ羽一つ羽は炉手前より、風炉の炭の時節おあたゝめ、大羽箒(○○○)は尻いざりして、茶人の風情おもつくるなるべし、しかるに椶櫚箒(○○○)といふ物は、山寺の児そだちにて、髪も櫛の歯のはけ先おそろへ、わらび縄のまきめもかたげなれど、暖簾の奥の娵が手にふれて、あだなる心のつきそめしより、廓下に狂ひ、広敷にうかれ、馬に乗られつ、鑓にふられつ、所さだめぬ転寐に、性悪の名のたちそめて、箒々とはいはれけむ、源氏もはゝ木々の名のみ残りて、今は紙袋の頭巾もなく、さかさまになりて、蛛の巣おはらひ、あるは忍草のつり縄になはれ、あるは石菖の根おかくまれ、果は何やらの薬とて、食物医者にむしられて、薬鑵の中のうき目お見る、彼は一類もおほかる中に、竹箒と聞えたるは、心とければ命みじかく、おほくは市中にありながら、木の葉吹ちる秋のゆふべは、隠逸の心も忘れずとや、扠こそおほうちの朝ぎよめにも、諸司百官にさき立しが、いつしか御譲位の変にあひては、花もちりしく院の御所に、伴のみやづこもよそ〳〵しく、かくては宮づかへもおかしからずと、塵の此世おいとふ心より、もろこしの芳野も遠からで、国清寺の会下に寒山和尚おたのみて、明暮の酒掃におこたらねば、心のちりも払ふばかり、竹のうきふしも聞ぬ身となりて、むまにくるまのあとおだに見ず、しかるお豊干の四睡の図は、我もかたはらに寐ころびて、其時の名おとゞむべかりしに、絵師のあやまりて、五睡ならねばと、さしもなき事おいひつのり、浮世の煤はきに立かへりて、芥川の名に流れけむ、さるは箒伝のみにあらず、人も栄落のかぎりあれば、一季二季の奉公人とても、かゝる身のほどおしれとなむ、