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北辺随筆

雲形
いにし文化六年己巳九月、伊勢に遷宮おろがみに降りけるに、その儀式どもふかく思ひあたらるゝ事ども多かりき、その時社頭にひきわたされし幕おみしに、おほきなる文字して雲形といふ二文字おかゝれたり、おもふに、これそのもとは絵して雲の形おかきたりけんお、その式お記錄しおくとて、雲形とかき置きたりしが誤りて、其文字おば幕にかき伝へけるなるべし、いつの世よりかしか文字にはかきけん、近きよのしわざにはあらざるべきお、思ひよる人もなかりけんぞくちおしき、又は思ひよれりし人もありつれど、さる式になりて伝はりし事なれば、え改めずてありけるにもあるべし、大かた神前の事はいとかしこけれど、これらは絵たるべき事必定ならんとおぼゆれば、いとあらためまほしき事なりかし、勘仲記雲、正応元年七月廿四日丁未、晴、参院奏外宮御装束用途事、〈中略〉今日祭物奉献神宮了、行伊勢豊受太神宮仮殿遷宮事所、奉送雲形布船代、山口木本鎮地後、鎮祭物等事、合、雲形紺布、八殿、〈中略〉右件雲形祭物等、任請奉送如件、正応元年七月廿四日、右官掌中原国有、左史生紀業弘、左少史中原景範雲々、これらおもふべし、