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古事記伝
十一
阿夜加岐能(あやかきの)は、文垣之(あやかきの)にて、文(あや)とは物の形画き、彩色などせるお雲なるべし、又は綾にもあるべし、〈綾としては疑もあるべく、又其お解べき由もあれど、此には略きつ、〉垣は帷帳(とばり)などお雲なるべし、太神宮儀式帳に、衣垣曳(きぬがきひき)氏とあるも、絁(きぬ)お垣の如く引延隔つるお雲るに准へて知べし、凡て加伎(かき)は内外お隔限る由の名なれば、何にても雲べきなり、〈契冲は、文垣にて、垣おさま〴〵 に彩たるお雲かと雲、師は、くみ垣なりと雲れつれど、垣にては此にかなひがたし、其故は、垣の下にと雲ては、戸外の庭に寝るになるなり、かの妻ごみに八重垣作るなどとは、そのさま等しからぬおや、其上此次の詞どもに、雲々が下にと雲るは、みな閨中の床のさまお雲るに、その一とつヾきの同詞にて、此のみ離れて庭の垣下なるべきにあらす、斯多は裏の意とも強ては雲べけれど、さるにても被(ふすま)と垣とな一とつゞきに、同詞以ていふべきにあらず、垣と被とは同類の物にあらす、もし垣ならば、次にも垣の類の物おいふこそ、古言の雅なれ、〉