[p.0774]
今昔物語
二十八
円融院御子日参曾禰吉忠語第三
今昔、円融院の天皇位去らせ給て後、御子の日の消遥の為に、船岳と雲ふ所に出させ給ける、〈○中略〉船岳の北面に、小松所々に群生たる中に、遣水お遣り、石お立、砂お敷て、唐錦の平張(○○○○○)お立て、簾お懸、板敷お敷き、高欄おぞして其の微妙き事無限し、
右近馬場殿上人種合語第卅五
今昔、後一条の院の天皇の御代に、殿上人蔵人有る限員お尽して、方お分て種合せ為る事有けり、〈○中略〉大臣屋の前に、郛より東に南北向様に、錦の平屋お卯酉に長く立て、同錦の縵お引廻して、其の内に種合せの物共おば悉く取置たり、出納小舎人など平張の内にて皆此れお俸つ、〈○中略〉郛より西には、其れも南北に向様に勝負の舞の料に、錦の平張(○○○○)お立て、其の内に楽器お儲け、舞人楽人等各居たり、