[p.0786]
塩尻
四十七
一布のもかう〈徒然草な講ずる人、古書お不知して、妄なる説おなして、しかも夫お秘事とす、甚敷笑、へきにや、〉
村上院御記曰、天暦八年正月八日、母后崩ず、二十四日、今朝撤尋常御簾、改懸蘆簾以鈍色細布為端帽額雲々、西宮記も又同じさま也、通典に古の帽而額といへる故、帽額は頭の服と計心得るは非也、
もかうは常の簾にも、上の方の端お幅の儘に下お綴つけずして置お雲、是はみすもかうなり、殿上昔は翠簾お垂れ、其上に帽額お引き、下に二尺の人帳お立て、もかうときちやうの間お物見にせしとかや、今俗に雲水引は、昔の所謂帽額也、帽額の名は、もと首服也、夫おかりて上にある引物おもかうと呼也、扁榜お額といふも、門上に懸るゆへなり、尋常の翠簾には、平絹等の帽額也、されば簾の端、及帽額に画く紋おもつかうといふは、鞆に画く紋お鞆絵といふに同じ、但紫宸殿大礼の時、〈御即位大嘗会〉壁代の上に横に引く、其時の帽額の紋は、獣形也、一つお執ていふべからず、