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倭訓栞
前編十三/世
ぜじやう 蜻蛉日記にみゆ、源氏にはせんじやうとも、まさすけにぜんざうともみゆ、軟障と書り、軟音善也、まさすけに東三条にありしは、さが野にかりせし少将おぞかゝれたりしと書るは、昆明池の障子の裏形也、野お書てかた方に屋形ありといへり、三代実錄に、紫宸殿の軟障と見えたり、細流に、ついたち障子などのやうなる物也といへり、七修類藁に、古有硬屏無軟屏、軟者囲屏也、囲屏与泥金綵漆皆出于日本と見えたり、これは今いふたゝみ屏風なるべし、住吉物語にかみびやうぶと見ゆ、西土の書にも紙屏あり、