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松の落葉

障子からかみ
いにしへ障子といへるは、へだてにものするたぐひおすべていへる名なり、今の世にしやうじといへるものおば、むかしはあかり障子といひたりき、そは古今著聞集に、あかり障子のやぶれよりきとみればといへるにてしられたり、紙ひとひらなるゆえに、やぶれよりものゝ見ゆるなり、同書に、清凉殿の弘庇についたち障子おたてゝといへるは、今ついたてといふものゝさまなり、狭衣物語に、かみしやうじに、よべの御ぞおなんかけてさむらひつるとあるも、ついたちやうのものにこそ、かみしやうじとは、紙もてはれるおいふ、きぬにてもはるゆえに、かゝる名はあるなりけり、又江家次第五の巻に、候於鬼間障子外〈暫閉障子戸〉と見え、宇治大納言物語に、へだてのしやうじのかけがねお、かけてきにけると見えたるなどは、今ひらき戸といふものとおもはる、されば何にまれ、へだてにものするお、みなしやうじといへるになん、 からかみとは、からの紙のめづらしきおもてはやして、いにしへはものゝへだてに、かくることありしおいへり、うつぼの物語楼の上の巻に、三尺のから紙おかけたまへりとあるお見てしるべし、さて後は此からかみお障子にはりて、今のさまにはなれるなるべし、長門本の平家物語には、から紙のしやうじおたてたりけるお、ほそめにあけてといへり、今のに同じ、