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蒼梧随筆

荒海障子之事
按に、件の布障子は、凡高さ九尺ほどにて、其画は墨絵なり、是乃ち金岡が図せしものといへり、〈滋野井殿御説松陰拾葉にあり〉然して今写して世に伝る巻軸の図は、件の布障子お写したるものには非ず、其初巨勢の金岡が図せしは巻軸にて、鴨居殿の宝蔵にありしお、金岡自ら写して布障子へ画しものなり、故に元本といへるは此巻軸の図なり、よて布障子は焼失して亡びたりといへども、其元本なる巻軸は現在するお、画所の預り土佐の家に其巻軸のうつし現在せるお、滋野井故亜相入道公麗卿のうつして蔵し給へるお乞願て、密にうつしたるものなり、嘉樹素より土佐の家に件のうつし侍りて、夫より懇望して写せる人も多く侍れば、此図は世に流布する事猶あるべし、努々又世になき希代のものにも非れども、嘉樹がうつせしものは、金岡が図せしお、土佐家へうつし、夫おまた故亜相入道のうつして、小伝お書添へ給へるお真写せしものなり、故に今由来お筆記する事かくの如し、
明和八年八月 橘嘉樹